20161127

「遺跡を歩く-建郡当初の遺跡と平安時代の山間部開拓の遺跡」

 

2016年11月27日(日)9:00~12:00 飯能市郷土館が開催した、現地見学会に参加しました。

 

30人ぐらいの参加者で、飯能市役所からバスで移動。案内人は郷土資料館の学芸員村上さん。

始めに訪れたのは、「張摩久保遺跡」、遺跡と言ってもその痕跡はなく、市営平松団地を含む住宅街となっているところ。

 

左の写真の南小畔側の左岸が大型掘立柱建物跡、銅碗、コップ型須恵器などが見つかった「張摩久保遺跡」で、右岸は水田があったと言われている地域。

古代の人が住む立地が想像できる地形でした。

再びバスで原市場地区行政センターに移動して、そこから徒歩で移動した。

 横道下遺跡は東側に入間川を望む緩斜面地に立地しているが、今は住宅街になっている。

 遺跡とは開発されるところを発掘調査することで発見されるものだから、その後は建物が建っているのが普通なので、今見てもその痕跡は感じられない。ただ、なぜそこに遺跡があった理由の地形的要素は感じられた。

何でこんな山に近いところに住居跡がと思うのは、現代の利便性、電車、車の利用や、上水道などのインフラを前提にしているからなのだと思い至った。山と川に近いところの方が平地より生活しやすいはずだ。

帰り道、白鬚神社に立ち寄った。白鬚神社は高句麗からの渡来人との関係が言われている神社だ。飯能は1300年前に建郡された高麗郡域とされている。

 

表の写真にある建物の中に、左の白鬚神社本殿がある。江戸時代初期の建造物である神社本殿が、建物で覆われているのだ。

 

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