<第36回 榛名・倉渕 歴史ツーリング )

妙見寺
妙見寺

714年(和銅7年)またはその翌年の715年(霊亀元年)上野国大掾藤原忠明の開基により創建されたと伝えられる。

797年(延暦16年)に成立した「続日本紀」にも「妙見寺」に関する記載がある。

境内にある妙見堂は、天保10年の再建で素彫のケヤキ木目の味を生かした表現で、代表的な幕末社寺建築である。

上野国分寺跡
上野国分寺跡

 奈良時代、聖武天皇が建設を命じた国分寺の一つで、750年ごろの完成。

僧寺は東西約220メートル、南北約235メートルの広さで、周囲は築垣(土塀)で囲まれていた。その中央には本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5メートルもある七重塔が建てられていた。

 復元された塔の基壇は一辺が19.2メートルの正方形で、上面には17個の礎石が並んでいます。塔の規模としては国内最大級です。

 

 

小栗上野介忠順の本墓
小栗上野介忠順の本墓

徳川埋蔵金説で有名な、元勘定奉行の小栗上野介忠順(ただまさ)の墓

幕府随一の頭脳と言われた小栗は、総督府(薩長軍)に恐れられ、無実の罪で斬首された。詳しくは温故塾資料でどうぞ

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