20170502

第23回 ヒキコマ歴史クラブ 活動 

            201752

 

<高坂>

若葉駅9:20 → 高坂駅 正法寺 物見山のツツジ ピースミュージアム12:30

 

高坂の駅前から鳩山ニュータウン行きのバスに乗り、大東文化大学で下車、巌殿山 正法寺(いわどのさん しょうぼうじ)入口のトンネルをくぐり、境内に入る。

 

中嶋住職に寺の案内をしていただいた。

開基は1300年前に遡るとのことで、延暦年間(782~805)には坂之上田村麻呂が悪竜を退治した話が伝えられている。これはこの地の豪族を中央政府が討伐した史実が伝説化された話と解説された。また観音堂を囲んでいる凝灰岩の崖は自然にできたのではなく、この地方の古墳の石棺に使われた石の採石場の跡で、その空間を利用して、観音堂が建立されたらしい。

 

現在の観音堂は、明治十一年火災により焼失した後、明治十二年に高麗村白子(飯能市)の長念寺から移築したもので、江戸時代の建物である。

鎌代時代には、源頼朝の庇護のもと比企能員が復興、坂東三十三観音霊場の第十番札所として一山六十余坊を擁すと言われた。

 

江戸時代は、境内には茶店が立ち並び、門前は巡礼者のための宿屋や商い屋で栄えたとのことで、今もその痕跡が境内から見た景色で伺われる。

県指定重要文化財の銅鐘は元亨二年(1322年)に造られたことが銘文に刻まれている。天正十八年(1590)の豊臣秀吉による関東征伐の際に、後北条氏の家臣、大道寺入道政繁がこの鐘を引きずりまわして打ち鳴らし、軍勢の士気を鼓舞したといわれ、その時についた傷が残っていて引きづり銅鐘とも呼ばれている。

境内には樹齢700年と言われる大きな銀杏がありますが、昨年11月の雪が降った時に、住職の目の前で、まだ葉があったためか、その重みで上から順に枝が折れたそうです。空師(そらし)に頼んで枝を伐採した痕跡がありました。

 

現在は、正法寺は真言宗智山派の寺として、京都の智積院が本山となっている。住職は毎年智積院までママチャリで行くとのことで、崖上の杉を自ら伐採するなどユニークな住職でした。

 

 

物見山は、正法寺のすぐ上にあり、つつじが見ごろで、多くの人が散策していました。そこからピースミュージアムまで徒歩で下り、中を見学しました(入場無料)。太平洋戦争の時代の生活や学校が再現されていました。展望塔からは浅間山や谷川岳が遠く望め、スカイツリーも見ることができました。

 

帰りは大東文化大の学生が行き来する、オーバーブリッジを渡ってバス停に行き、高坂駅に戻りました。

 

参照:

正法寺公式ブログより

http://syoubouji.jugem.jp/?cid=1

 

東上沿線新聞

源頼朝が再興した坂東札所十番

巌殿山 正法寺(東松山市)

http://tojoshinbun.com/syoboji.html

 

 

 

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